'97〜

雑記

2021/1-2022/8

 

 

大学を卒業した

友人を深く傷つけてしまった

仕事に就いた

バンドを始めた

恋人ができた

恋人と別れた

音源をリリースした

仕事を辞めた

 

思い返せば、2021年は厄年だった。厄年というか、いろいろな出来事が立て続けに起こったという意味で、自分の中ではそういう意味で厄年だった。イベントの年。多分2021年の出来事は何も文章として残してない。

 

2022年、自分にとって何が生きがいなのか、よくわからない。

仕事で成果を上げて自らのアイデンティティが充たされるほど五体満足な心を持ち合わせてはいないから。

恋人と絵に描いたようなしあわせを実現できるほどできた人間ではやっぱりなかったから、精一杯をやってもそればかりに頭が向かっていってしまうから、馬鹿正直に何にも代えがたい自分の心のように大切なものでも実際にはそうすることができないのだと、させてはくれないのだと、わかった。

 

「ナベは普通になろうとしているのになれないところがいい」って大学2年生の春に先輩から言われたことを時折思い出す。それに胡坐をかいてニヒリズムに浸ってしまう自分がいる。でも自分は自分なりに精一杯やっている。精一杯やって大学をやっと卒業できたし、精一杯やって手に職をつけることもできた。でも全て捨ててしまいたくなってしまって、自分もその対象になることがやっぱりあって、なんだかもう自分の生き方がわからなくなった。から取捨選択をした。サッパリはしていない。腑抜けた心が腑抜けただけだった。べつに悪い選択をしたとは金輪際思っちゃいないけど、変わらず腑抜けてる。

 

ねえ音楽はなんのために鳴り響きゃいいんだろう?わからなくなっちゃったよ。

25年間も生きるなんて、馬鹿のやることだと思う。25年だよ。長すぎるよ。身体が腐ってきた。

なにかしたいことが鉛みたいに重いこの身体を突き動かすことは相変わらずない。薬を変に飲むことはきっぱりなくなったよ。アルコールなんてものにうつつを抜かすこともなくなったよ。でも自分が何のために生きたいのかさっぱりわからないから今この身体を持て余していることがとてももったいなく思えて、捨ててしまってさっぱりしたいと考えてる。希死念慮とかそういうティーンエイジャー的感覚でものを言っているのではなく、清算したい。

 

 

 

 

 

ボードレール『港』

 

 港は人生の闘に疲れた魂には快い家である。空の広大無辺、雲の動揺する建築、海の変りやすい色彩、燈台の煌き、これらのものは眼をば決して疲らせることなくして、楽しませるに恰好な不可思議な色眼鏡である。調子よく波に揺られてゐる索具の一杯ついた船の花車な姿は、魂の中にリズムと美とに対する鑑識を保つのに役立つものである。とりわけ、そこには、出発したり到着したりする人々や、欲望する力や、旅をしたり金持にならうとする願ひを未だ失はぬ人々のあらゆる運動を、望楼の上にねそべつたり防波堤の上に頰杖ついたりしながら眺め、もはや好奇心も野心もなくなつた人間にとつて、
一種の神秘的な貴族的な快楽があるものである。


 

長崎の街の1DKへ

 

 

 

 

伝えたいことはもう全部ぼくも擦り切れができるくらいに綴ってしまって


もう君に書きたいことは何もなくなっちゃった


だけどすきだと言う言葉だけは忘れないよ

だけどすきだと言う言葉だけは忘れないで

 

 

 

 

 

f:id:gimme_benzo:20201128115328j:image

歌詞が書けない

全部綴ってしまったから

一生ぼくの手元にぼくの詩は戻ってこない

あのひとがもうじき結婚したら忘れられるのかもしれない

押し入れのファイルの中に眠ってるんだろう

バルコニーのある長崎の部屋にあるなんて不思議なことだね

おばあちゃんになったら読み返したりしてみてくれるだろうか

 

不思議だね

 

 

 

あのときのあなたにあいたい

 

201520162017201820192020それぞれの世界をそれぞれそのままで保存したいのですけど
街もひともそれぞれそのときしかそれそのものじゃないんだから、みんなにあいにいきたい会いたいときにあいにいきたいあのときのあなたにわたしに月は思っていたよりもはやくうごいているのだと気づいた

 

 

 

 

 

 

 

 

煙草が増えている

 

 

 

Light it up, breathe it in

You know they say we'll live again

Needle down, candles on


My favorite cup
And a hi-fi stereo

Everything's not so bad

 

It's the way home should be
The way the windows frame the trees
And smoke fills the room

 

Colder now than last year
You know they say we'll all be dead
Needle down, needle in

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ぼくはいま住んでいるこの部屋が好きだ。

 

今年は去年よりも寒い気がする。

 

はじめて月が動いてるのをみた。

 

 

 

 

ま/れちゃん か/ほちゃん

 

 

 

高校のときTwitterで銀杏とかがすきな同世代と繋がっていた。そのなかのひとりと大学二年生のとき、サークルの新歓活動で偶然出会った。ぼくは顔をなんとなく知ってたからあっ!とおもったんだけど僕は顔なんてSNSで出すようなタチじゃなかったからむこうは勿論気付いてなかった。新入生に向けたライブで村八分のコピーをやったときに(当日ぶっつけ本番だった。しかも自分は間違って一曲違う曲をコピーしてしまっていて焦った)(鈴木が最高に歌ってほんとクソ楽しかった)が終わったあと「ねえ、もしかしてか/ほちゃん?ぼく〇〇だよ」って言ったらスゲー驚いててそのあと飲み会中ずっとふたりで話してた。

 

それから僕とか/ほちゃんは大学の昼休みに飯を食いにいくようになった。二郎を食べに行く約束をしていたけれど、彼女が「やっぱり下北でなんか食べよ!」というから付いて行った。ダンダダンの隣にある小洒落たカフェでランチプレートを食べた。彼女がフォークを口に運ぶところを見ていたら「なんでみんの〜笑」みたいなこと言ってた。なんか女の子と二人でご飯ってこんな感じなんね。って思った。

 

その後も一緒に大学のすぐ横にある家系ラーメンを食べに行ったことがあった。一人で入ると周りには大学生ばかりだし自意識過剰の僕はその人たちに以上に意識を持ってかレテ集中できないんだけど女の子と行くと全然気にならなかったな。か/ほちゃんはレディースラーメンとかいうひと回り小さい器の、麺が少ない代わりにすきなトッピングが載せられるやつを頼んでた。卓上の酢を丼の上で3週くらい回し入れてた。「入れすぎじゃない?」と僕が言ったら「え〜私毎回こうする!」とか言ってたけど、結局酸っぱくなりすぎたらしくて顔をしかめて僕を見て小声で「酸っぱい〜笑」とか言ってて笑った。スープ飲ませてもらったらまじで酸っぱくて笑った。帰り際、店員さんから女の子限定のペコちゃんキャンディーをもらってた。

 

大学の食堂で空きコマ時間を一緒に潰したことがあった。僕は次の時限が中国語のテストだったからひたすらノートに中国語を書きなぐって覚えようとしてるんだけどか/ほちゃんは向かいに座ってベースを取り出し、今度のライブでやるという曲の練習をしていた。ノートに彼女のフルネームを書かれた。字があんたそのもので、なんか一生残したくなった。

 

twitterで仲良くしていた人にもうひとりま/れちゃんという子がいた。

か/ほちゃんが大学に連れてきていたらしく、「渡邊くんもきなよ」って言われてまた食堂で合流した。ケイスケカンダのスウェットをきていた気がする。僕はSILASのスウェット着てた。ま/れちゃんは、か/ほちゃんとは違って奥ゆかしいおっとりした女の子だった。そん時はま/れちゃんとはほとんど話さなかった。

学食を出て喫煙所に向かうとま/れちゃんはPeaceを吸い始めた。「ピース吸ってんの!?」って言った。カッケーと思った。それから僕はピースをたまに吸うようになった。 『Peace』の文字と抽象化された鳩のパッケージが異様にかっこよかった。それを吸う女の子がかっこよかった。

 

それから僕らは三人でよく遊ぶようになった。

下北沢threeで定期的に行われていたエントリーフリーのイベントを見に行った。ミツメとナツノムジナを見たのを覚えてる。そのハコのブッカーとま/れちゃんは最近別れたらしく、始終「目あったらどうしよう」とか言ってたな。

店を出て散歩をした。三人とも結構飲んでたからあんまおぼえてないや。

 

それ以降、僕はよくま/れちゃんとふたりで遊ぶようになった。

最初は、永福町駅で待ち合わせて和田堀公園の釣り堀に行った(なんも釣れなかった)。そのあとはコンビニで酒を買って永福神田川沿いのおおぞら公園というところのでかい芝生に寝転んで星見ながらいろんなこと喋った。僕らどちらも口下手だったけど居心地の良い関係性だった。

終電の時間になって駅へ向かっている時、彼女が寒いと言ったから僕が着ていたジャージを肩に羽織らせてやった。気恥ずかしかった。童貞だったからね。緊張したどんな反応されるか。

 

それ以降は僕にもか/ほちゃんにも、人生で初めての恋人ができて三人で遊ぶことは全く無くなった。

 

そして恋人とも別れた2年後、サウンドクラウドでま/れちゃんの曲を聴いて久しぶりに連絡が取りたくなってまたあそぼってメールを送った。屋上に行ったりあてもなく10kmくらい散歩をしたりした。それからは深夜に多摩川河川敷に特に意味もなくギターとお酒を持って遊んでた。

か/ほちゃんは恋人との関係性上男がいる場所に遊びに行けないんだって。悲しくなっちゃうよな。またいつでも一緒に遊びたいのに。

 

先日、彼女たちがやっているバンド、東/京/初/期/衝/動のライブを観に行った。ま/れちゃんがゲストパスをくれたんだ。あんな身近な存在だった友達の、リキッドルームのステージで弦引っ掻き回して叫んでいる姿を見ることになるとは思ってもなかったな。彼女たちの音楽はGOINGSTEADYだ。僕はこういう所謂『青春パンク』をやりたくて上京してきた。今でもやりたい。だけどもう僕は23歳なんだ。東京きてから5年が経っているんだ。色々思うところがあった。

 

終演後、彼女たちに電話をかけた。

 

「渡邊くん?久しぶり!」

「久しぶりだね!ほんとライブ最高だったよ!」

「ありがとう!またあの時みたいにあそぼうね!!!」

「うん!まじで遊ぼうな!!!!!!」

 

あと何回会えるんだろうか。

ネッ友 好きだよ。

 

もう、名前の間に『/』は入れたくない。

 

 

 

 

 

 

 

僕③

 

2016~2017年春は僕の人生の中でかなりデカイものになってる。人に話すなんて本当に野暮なことなんだけどね。

 

といっても2016年大学一年生の記憶は本当に薄いものになってる。爆弾処理班みたいなOshkoshのマウンテンパーカーを下北沢で買ったこと、サークルの一つ上の先輩と自転車で渋谷のロックバーに行ったこと帰り道ダイナコンプ欲しいんすよねみたいなこと言ったこと、渋谷道玄坂セブンイレブンでバイトをしたこと(2か月で辞めた)くらいしかマトモに覚えてない。

自転車があったから、中野に行ったり世田谷線を沿ったりディスクユニオンでCDを買いまくってた(そのころはApple musicが浸透してなかったからね)。スーパーカーを聴いてこれがやりたいと思って山畑君というネットで知り合った人とサークルのサクさん、大石さんとちょっとバンドみたいなものをやった。結局ライブも一回もやらず終わったけど、いい曲があった。

年末には在来線を乗り継いで地元に帰った。郡山ってこんなに田舎なのかよと驚いた。

あれ冒頭で2016年について全く覚えてないみたいなこと言ったけどこうやってツラツラ綴ってると出てくるもんだね。

 

年を越して2017年になった。

大学もなんだか気が抜けてしまっていて図書館で本を読むことや昔のゲームをやるとかしてたから単位を落としたりするようになった。

春休みは本当に酷いもので(でもぼくはこの春休みが一番好き)、バイトの面接を受けては落ちを繰り返していた。ベッドの上でエッセイだとか小説を読んだりしてた。東京にきて初めて心療内科に通った。Twitterのよくわからん人とよくわからん交流をしてた。ローファイヒップホップをよく聴いていた。teen suicideに衝撃を受けた。酒を飲んでフラフラする初めての感覚を楽しんでた。

涼さんという人と文通を始めた。本名がわからないからイメージで宛名書いて手紙出すって言ってていざ届いたら「ハイチュウくん へ」てなってて届けに来た配達員のオッサンと変な笑いが出て可笑しかった。

サークルの同期の鈴木にバンドに誘われた。「ロックな感じのベースがいいからワタナベ誘った」て言われて嬉しかった。明大前のスタジオで知り合いの女の子から借りたfender USAのプレベの4弦を弾いたら部屋がマジで文字通り揺れて笑った。下北沢でライブをした。ライブ後明亭で赤いチャーハンを食った。これが最後のライブだった。

この頃の僕は何でか外見が整っていて、胸板はほどよく薄く顎や頬の皮膚は骨にピッタリ張り付いていて目は聡明で床屋で適当に切ってもらっただけの髪型でも人生でいちばん美しく生きれていた。

ぼくは小さい頃、おじいちゃん家や友達の家に遊びに行った時玄関を開けた途端漂ってくる嗅いだことのない匂いに毎回意識が飛ぶ感覚があったのだけど、涼ちゃんからの手紙もこれと似たような感覚で毎回封を切る度彼女の匂いがスウと鼻をついてクラッと倒れそうになった。女の人の私的な匂いに初めてふれたからだと思う。手紙を書くなんてもちろん人生で一度もやったことがなくただ中学だかでその作法を習っただけだったのだけど、いざ書くとなるとよくわからないが言葉が次々と便箋を埋めていってそのことにビックリしたし嬉しかった。

渋谷のディスクユニオンフィッシュマンズ「8月の現状」を買った。他にも何枚かフィッシュマンズのCDがあったけれど、ジャケットがいちばんいかしてたからこれにした。でもなんかピンと来なくてちゃんと聴かなかった。

煙草を吸い始めた。僕の下宿は大学の真横にあったので年齢確認が厳しいから、自転車でわざわざ隣駅の西永福のコンビニまで買いに行った。初めて吸った煙草はアメスピの黄色いやつ。なんとなく目についたから買った。父親がヘビースモーカーであまり喫煙に依存したくなかったから1日三本吸ってた、まあそのルールはすぐどっかに消えるんだけど。ラッキーストライクライトボックスを買ってみた。理由はパッケージの色あいが良いと思ったから。『IT'S TOASTED』って書いてある通り、パンのような味がした。ベランダのアウトドア用ベンチに上半身だけ寝転がってラッキーストライクを吸いながら8月の現状を聴いた。フワフワ身体が途方も無い遠い場所へ持ってかれる且つ地球の日本の東京のこの一畳もないベランダ(全て人間が創り出した概念でしかなく存在してるかもあやふや)に名前を与えられたヒトとして居る?(全部不確かだけどね本当に)フワフワしながら現在とかいう概念にフワフワ漂ってる?なにも解ってないけど狂うくらい気持ち良かった。

宗教が言わんとする魂や宇宙やその外側そしてそれに思考を一定以上及ばせない僕ら人間が脳にかけられた脳のフィルターについて俯瞰しきった目線から諦めたように諭す姿勢の在り方が圧倒的に正しいそれしかできない、でも人間と音はあの膜の表面まで、あと数センチ数ミリで触れる可能性を感じるところまで行ける身体を目一杯伸しきっても届きやしないそんなの何万年も前から解りきってるでもマジで今回だけは手を掛られる気がする。あのアルバムはそう言ってる。