'97〜

雑記

僕③

 

2016~2017年春は僕の人生の中でかなりデカイものになってる。人に話すなんて本当に野暮なことなんだけどね。

 

といっても2016年大学一年生の記憶は本当に薄いものになってる。爆弾処理班みたいなOshkoshのマウンテンパーカーを下北沢で買ったこと、サークルの一つ上の先輩と自転車で渋谷のロックバーに行ったこと帰り道ダイナコンプ欲しいんすよねみたいなこと言ったこと、渋谷道玄坂セブンイレブンでバイトをしたこと(2か月で辞めた)くらいしかマトモに覚えてない。

自転車があったから、中野に行ったり世田谷線を沿ったりディスクユニオンでCDを買いまくってた(そのころはApple musicが浸透してなかったからね)。スーパーカーを聴いてこれがやりたいと思って山畑君というネットで知り合った人とサークルのサクさん、大石さんとちょっとバンドみたいなものをやった。結局ライブも一回もやらず終わったけど、いい曲があった。

年末には在来線を乗り継いで地元に帰った。郡山ってこんなに田舎なのかよと驚いた。

あれ冒頭で2016年について全く覚えてないみたいなこと言ったけどこうやってツラツラ綴ってると出てくるもんだね。

 

年を越して2017年になった。

大学もなんだか気が抜けてしまっていて図書館で本を読むことや昔のゲームをやるとかしてたから単位を落としたりするようになった。

春休みは本当に酷いもので(でもぼくはこの春休みが一番好き)、バイトの面接を受けては落ちを繰り返していた。ベッドの上でエッセイだとか小説を読んだりしてた。東京にきて初めて心療内科に通った。Twitterのよくわからん人とよくわからん交流をしてた。ローファイヒップホップをよく聴いていた。teen suicideに衝撃を受けた。酒を飲んでフラフラする初めての感覚を楽しんでた。

涼さんという人と文通を始めた。本名がわからないからイメージで宛名書いて手紙出すって言ってていざ届いたら「ハイチュウくん へ」てなってて届けに来た配達員のオッサンと変な笑いが出て可笑しかった。

サークルの同期の鈴木にバンドに誘われた。「ロックな感じのベースがいいからワタナベ誘った」て言われて嬉しかった。明大前のスタジオで知り合いの女の子から借りたfender USAのプレベの4弦を弾いたら部屋がマジで文字通り揺れて笑った。下北沢でライブをした。ライブ後明亭で赤いチャーハンを食った。これが最後のライブだった。

この頃の僕は何でか外見が整っていて、胸板はほどよく薄く顎や頬の皮膚は骨にピッタリ張り付いていて目は聡明で床屋で適当に切ってもらっただけの髪型でも人生でいちばん美しく生きれていた。

ぼくは小さい頃、おじいちゃん家や友達の家に遊びに行った時玄関を開けた途端漂ってくる嗅いだことのない匂いに毎回意識が飛ぶ感覚があったのだけど、涼ちゃんからの手紙もこれと似たような感覚で毎回封を切る度彼女の匂いがスウと鼻をついてクラッと倒れそうになった。女の人の私的な匂いに初めてふれたからだと思う。手紙を書くなんてもちろん人生で一度もやったことがなくただ中学だかでその作法を習っただけだったのだけど、いざ書くとなるとよくわからないが言葉が次々と便箋を埋めていってそのことにビックリしたし嬉しかった。

渋谷のディスクユニオンフィッシュマンズ「8月の現状」を買った。他にも何枚かフィッシュマンズのCDがあったけれど、ジャケットがいちばんいかしてたからこれにした。でもなんかピンと来なくてちゃんと聴かなかった。

煙草を吸い始めた。僕の下宿は大学の真横にあったので年齢確認が厳しいから、自転車でわざわざ隣駅の西永福のコンビニまで買いに行った。初めて吸った煙草はアメスピの黄色いやつ。なんとなく目についたから買った。父親がヘビースモーカーであまり喫煙に依存したくなかったから1日三本吸ってた、まあそのルールはすぐどっかに消えるんだけど。ラッキーストライクライトボックスを買ってみた。理由はパッケージの色あいが良いと思ったから。『IT'S TOASTED』って書いてある通り、パンのような味がした。ベランダのアウトドア用ベンチに上半身だけ寝転がってラッキーストライクを吸いながら8月の現状を聴いた。フワフワ身体が途方も無い遠い場所へ持ってかれる且つ地球の日本の東京のこの一畳もないベランダ(全て人間が創り出した概念でしかなく存在してるかもあやふや)に名前を与えられたヒトとして居る?(全部不確かだけどね本当に)フワフワしながら現在とかいう概念にフワフワ漂ってる?なにも解ってないけど狂うくらい気持ち良かった。

宗教が言わんとする魂や宇宙やその外側そしてそれに思考を一定以上及ばせない僕ら人間が脳にかけられた脳のフィルターについて俯瞰しきった目線から諦めたように諭す姿勢の在り方が圧倒的に正しいそれしかできない、でも人間と音はあの膜の表面まで、あと数センチ数ミリで触れる可能性を感じるところまで行ける身体を目一杯伸しきっても届きやしないそんなの何万年も前から解りきってるでもマジで今回だけは手を掛られる気がする。あのアルバムはそう言ってる。